コロナの思い出 in フィリピン・セブ

移住情報

先日、ITパークにある屋台村「スグボ・メルカド」に寄ったらすごく活気があって、コロナ前に戻ったみたい!と嬉しくなりました。

セブITパークの屋台村Sugbo Mercado

2023年3月のSugbo Mercadoの様子(ちょっとぼかしています)

2023年3月現在のセブではマスク着用義務もほぼなくなり(自主的にしてる人はまだ結構います)、屋台村前の広場も夜のピクニック状態で賑やかでした。

セブITパークの広場

2023年3月 ITパークの屋台村前の広場

このITパークの広場、コロナのロックダウン中やその後の結構な長期間、立ち入り禁止となっていて閑散としていたんですよね。

一番厳しいロックダウンの頃に唯一開店しているスーパーで1週間分の食材を買い出ししたあと、買い物袋が重くてこの広場のベンチで一休みしてたら、コロナ規制違反を監視している人に「”目的の無いうろつき”は違反行為!さー立って!」と追い払われたことを思い出しました。

3年前のカメラデータを見てみたら、いろいろ懐かしい写真が出てきました。

フィリピン・セブ2020年のコロナロックダウン時の戦車

これコロナの写真ですよ…ロックダウンを守らせるために戦車出動(Sunstar Cebuより)

今日は、私が住むセブ・ITパーク周辺でのコロナの思い出について、経験した人や、この時期のセブを知らない人にもシェアするべく、語ってみようと思います。

一瞬の東洋人差別

コロナ発生後、とくに欧米諸国でのアジア人・東洋人差別の問題がニュースになったことがありましたよね。
フィリピンではもともとそういう人種差別的な言動をする人は少なく、異なる文化圏や見ための人も寛容に受け入れる風潮があります。

ですが、コロナがフィリピンに上陸する直前の一番ピリピリしていた時期には、ほんの一瞬だけ、東洋人差別の存在を感じたことがありました。
2020年2月、まだセブでのコロナ発生件数がゼロの頃、タクシーに乗ろうとしたら「中国人か?違うなら証拠を見せて」と運転手に言われました。
その時期に、モール内ですれ違う人からちょっと警戒するような視線を感じたこともありました。

ただ、覚えているのはその2回くらいで、期間的にはほんとに短かったです。
それからあっという間に中国からの入国や国際線の到着が制限されましたし、現地の人も、街に外国人がいても「コロナ前からの在住外国人だな」とわかるからか、そういった差別的な視線を感じることはなくなりました。

2020年3月初旬 コロナ対策の渡航制限(フィリピン移民局のFBより)

2020年3月初旬の渡航制限(移民局のFBより)

東洋人差別を感じた期間があまりにも短くて(体感で1週間くらい笑)、「あんたら飽きるの早すぎやろ…慣れへんこと(差別)無理にせんでもよかったやん」と思いました。

その後は、たまにお店や街で日本人?と聞かれることがあっても、皆好意的で「簡単に帰国できないの大変だね、家族に会いたいよね」と同情してくれたり、セブに住む他の外国人(ロックダウン中も残っている韓国人や欧米人)とは無言の連帯感のようなものを感じたりと、東洋人、日本人であることで不利益を感じることはほとんどありませんでした。

コロナ関係なく、フィリピンに好きで住んでいる外国人で、こういうフィリピン人の寛容さを快適と感じる人は結構多いんじゃないかと思います。
外人でも、高齢でも子どもでも、マイノリティでもなんでもとりあえずフレンドリーに受け入れてくれる緩さは、私がフィリピンを好きな理由のひとつです。

ロックダウンの衝撃いろいろ

2020年3月下旬にセブでロックダウン(フィリピンではECQと呼ばれていた)が始まった時は色々大変でした。
一番厳しい時はこんな感じでした。

  • 公共交通機関は完全にストップ。高齢者や幼児は原則一切外出禁止。大人も外出するためにいろいろ条件がある。(夜20時以降の夜間外出禁止令や自家用車の通行制限など)
  • 外出時にマスクをつけていなかったり、Curfew(決められた外出可能時間)後に許可なく外にいたり、外出許可証(一世帯に1枚配布)を携行していないと拘留、逮捕される。

    Stay at home or stay with us

    Stay at Homeできないならこっちに来いのメッセージ(Sunstar Cebuより)

  • あちこちに関所ができ、住民の出入りの管理や制限をしていて、一時期はITパークの住民は一切ITパークの外には出られなかった。
  • コロナ患者が発生した街から住民がこっそり抜け出さないように、軍隊や戦車が出動していた。

    バランガイLUZの厳重警備

    (Cebu Public Information OfficeのFBより)

  • 外出は食料品や生活必需品の入手と医療関連の理由でのみ可能。友人に会う等の目的での外出、スポーツ、娯楽、美容サービスなども一切禁止!
    そもそもスーパーと薬局とテイクアウト専門の飲食店以外のお店は営業休止だった。

どのルールもそれなりにきつかったですが、私が一番衝撃を受けたのが2020年3月末に見たこの光景です。

ショットガンを持った軍人

2020年3月末 ITパーク内のコンド前

外出許可証が手元に無いときに、すぐ近くのコンビニに行くだけなら大丈夫かな、とコンドを出ようとしたら、ショットガンを持った軍人が徘徊していた(違反者を止めるため)時です。
えらい国に来てもうた…と思いました。
(とりあえず上の写真だけ撮って引き返しました)

逆にちょっと笑って、今でも覚えているのが5月頃のこのニュース。
ロックダウン中にマスク非着用やソーシャルディスタンス違反で捕まった人達が市役所近くの広場で罰としてエクササイズさせられている記事です。

ECQ違反者へのペナルティ(シティホール前でエクササイズ)

2020年5月中旬(Sunstar Cebuより)

このころ、スポーツや集まりや娯楽はすべて禁止されていたので、むしろ楽しそうにすら見えました。
天気は良いし、なんか皆スタイル良いし、熱血コーチみたいな人もいるし。
結局、この集まっての運動が感染拡大の原因になりうると批判されて(当たり前 笑)この罰は中止になりました。

それから、ITパーク近隣の町で少しずつ感染者が出始めて、周りを完全に囲まれた時は「あー、終わった…?」と思いました。
日本の家族に説明したのでその時の写真があります。↓

2020年4月初旬のセブ市のコロナ感染件数

2020年4月下旬のセブ市バランガイ別感染件数

この後、ITパークのあるApasでも、私の住んでいるコンドでも感染者が出たので関係なくなりましたが、この画像の2020年4月末頃が一番怖かったかもしれません。
日本もちょうどデパートが休業したり、ステイホーム動画が流行ったりしていた頃ですね。

そして私も6月頃体調を崩したのですが、病院に行けという日本の家族に「いや、連絡したら病院じゃなくてここ↓に2週間強制連行されるから。無理!」と言って自力で何とか回復しました。

2020年5月にできたセブのコロナ隔離施設

2020年5月にできたセブのコロナ隔離施設(Sunstar Cebuより)

突然の禁酒令「リカーバン」

フィリピンではコロナ時に限らず「リカーバン(Liquor Ban)」と呼ばれる禁酒令が出されることがあります。
リカーバン中は、スーパー等お店でのお酒の販売が禁止され、レストランやバーなどもアルコールの提供ができなくなるというものです。
それまではおもに、選挙の日やその前後の1~数日のみリカーバンということが多く、大体前もって発表されているので家で静かに飲みたい人は早めにお酒を買っておく、という対策ができていました。

ところが、コロナのロックダウン時には、なんの前触れもなくこのリカーバンが突如発表されました。
しかも無期限。これには皆参ったと思います。
お酒を買い溜めしていた人に高値で売ってもらったり、お酒が買えるらしいと聞いた場所に何キロも徒歩で(公共交通機関も運行休止なので)行ったりする人も出ていましたし、工業用アルコールを飲んで死者が出たというニュースも見ました。

私は普段家ではほとんどお酒を飲まないので、まったく影響がないかと思いきや、「絶対に飲めない、そしていつ飲めるようになるかもわからない」という状況になると、なぜかお酒が飲みたくて飲みたくてしょうがなくなりました(笑)。

そしてリカーバンが緩和され、店内での提供はまだ駄目だけど販売ならOK、となった後、ビールやウイスキーをたくさん買って、リカーバン前には無かった「夕食と一緒にお酒を飲む」という習慣を新たにはじめてしまいました。
もともとお酒は弱いので量も少なかったですし、数ヶ月続けて満足してからはもう家では飲まなくなりましたが、あのリカーバン明けのお酒欲はやばかったです。
ロックダウン中で楽しみが無い中でのリカーバンは、逆にアル中を増やしたんじゃないかと、今でも思っています。

2020年コロナロックダウン時のリカーバンについて

うち(セブ州)の美熟女州知事が「ルール守らないとまたリカーバンするで!」と脅してる記事(Sunstar Cebuより)

たぶん私、こういう品切れ状態に弱いんですよね。品切れ解消後にその商品を必死で買ってしまいます。
去年フィリピンで砂糖不足によりコーラが品薄状態になったあとも、復活直後1ヶ月はコーラを見る度に買っていましたし、今も白玉ねぎ(去年10月から今年2月頃まで品薄&高騰していた)が3つも冷蔵庫にあります。
経験上、1~2ヶ月で収まるとは思いますが、この品切れ状態だった商品への変な執着は、コロナ時のリカーバンではじめて気づいた自分の弱点だと思います。

コロナ明け実感

私がコロナ明けを実感したのは、去年(2022年)の11月頃からでしょうか。
3年ぶりに会社でクリスマスパーティーをすることになって準備したり、人と外食する機会が増えました。

いつも行くITパーク内のセントラルブロックも、ロックダウンの時はこんな状態だったのに、

2020年4月のセントラルブロックアヤラモールの中庭

2020年4月 唯一営業していた地下スーパーに入るための行列(大体2時間かかる)

今は同じエリアがたくさんのお客や観光客でにぎわっています。

2023年3月のセントラルブロックアヤラモールの中庭

2023年3月のセントラルブロック中庭

それから、クリスマス当日に出かけようとコンドのエレベーターに乗ったら、先に乗っていたカップルがものすごく浮かれた格好だったのを見た時もテンションがあがりました。
女の子のほうは、フィリピン人のかなり可愛い子で、赤いドレスもメイクも髪型もすごく決まっていたのですが、白人彼氏がこういう眼鏡をかけていて、思わず笑ってしまいました。

浮かれメガネ

これのクリスマスバージョンでさらにトナカイの身体の一部があしらわれているもの

すると彼氏が眼鏡の解説?言い訳?をし始めて、そのまま1階に着くまで3人で笑いながら彼氏の言い訳を聞き、笑かしてくれてありがとう、メリークリスマス!と言って別れました。

セブの場合、コロナだけでなく前々回のクリスマスには大型台風の被害もあってとてもクリスマスを祝える状態では無かったので、2022年のクリスマスはセブ在住者にとっては本当に久しぶりの楽しいイベントで、皆テンションが上がっていたと思います。

そして、こういうエレベーター内で知らない人と会話を楽しむという機会自体がここ3年ずっと無かったので、コロナ前のセブに戻ったみたいでとても懐かしかったです。

こんなパンデミックはもう起こらない、と願いたいので、今後の役には立たない情報かもしれませんが、この3年セブで経験したことはいろいろと衝撃だったので、忘れる前に記録しておきたいと思いました。

コメント

  1. Kyoko より:

    ここ3年のセブ(特にITパーク)がよ~く説明されていてとても興味深かったです!
    セブに住んでいる日本人の方と知り合いになりたいと思い、セブ日本人会、木曜会、朋友会などに連絡してみましたが、どうもピンときません。
    日本人のキリスト教の信者会も訪ねてみましたが、やはり私が思ってるような感じではありませんでした。
    セブキッチン日記さんのブログが私には一番合います!
    同士を募ってクラブかサロンを立ち上げて欲しいです。

    • Cebu Kitchen Cebu Kitchen より:

      こんばんは!
      私もそういったセブの団体には、一度も属したことが無いんですよ。
      自分で募るのは、柄でも器でもないんで、無理です!
      私的には、お料理教室とか、よさそうな習い事がセブで見つかったらたまに参加する、くらいが理想です(笑)
      そもそもセブ在住の日本人女性が結構すくなそうですよね…
      私は、特にコロナ禍以降日本人と知り合うことがなくなり、ただのんきに食べ物の話とかセブ生活の話がしたいなと思ってこのブログを始めたので、こうやって見ていただけて嬉しいです。ありがとうございます!

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